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本好きに送る「電子書籍のつくり方」講座

誰でも 簡単 手作り 電子書籍

緊デジを振り返りながら:2

一昨日(5/22)に行われた緊デジを振り返る集会@仙台、それに参加して考えた事を申し述べるエントリー、その2回目です。→その1はコチラ

制作期間の変動が制作会社に与えた影響

前回のエントリーで「出版社の緊デジへの仮申請タイトル数:9万点が本申請にほとんど繋がらなかった、その見通しの甘さが緊デジのうまく行かなかった根本的な問題ではないか」ということを書きました。

もし希望的観測に頼らず、別のアプローチでタイトル集めをしていれば、当初の予定通りに2012年の秋には本格的に制作開始ができていたかもしれません。

今回のエントリーでは「もし予定通りに制作が進捗していたら…」という仮定の話しと、二転三転した制作期間の変動、そしてそれが引き起こした問題を、制作会社として参加した私の身辺で起きた実例とあわせて述べたいと思います。

制作期間が予定通りであったなら

もし秋から制作を始められていたとすると、年度末までには約半年の製作期間がとれました。

この「半年」という期間が事業完遂に充分かどうかについては賛否あるでしょうが、少なくとも緊デジが直面した年明けから作業を始めて3月までになんとかするという事態よりは無理は少なかったはずです。

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時間はない、でも受けた。その理由

いま私は前の文章で、「制作時間が充分になかったことが問題である」みたいなことを書きましたが、私にそれにとやかくいう権利は実はありません。(それに至る原因を作った「見通しの甘さ」は問題ですが)

それはこういう理由です。

2013年の年明けに、制作会社向けの説明会がありました。
そこで「一気に多数の制作申請が出版社からありました。この仕事を是非一緒に」というアナウンスが緊デジ側からあり、私はそれに対し誰に強要される訳でもなく、自らの意思で参加を決めました。
制作時間が短い事はこの時点で分かっていた事なのですから、他の会社がしたように、制作時間の不足を理由に「受注をしない」とする選択肢もあった訳です。

このような難しい状況でもなお、このお話しを受けたのには理由があります。

もちろん、単に「緊デジの受注で売り上げを上げたい」という気持ちもありましたが、それ以上に大きかったのは「電子書籍の持つ未来の可能性」への期待でした。

それは緊デジが当初に掲げていた「理念」みたいなものと、自分にとってはほぼ同義と感じられました。

  • この電子書籍という新しい世界で
  • 自分が今までしてきた事を活かし
  • 社会の役に立ちながら
  • 自分の居場所を新たに得る

昨今このようなチャレンジが出来るチャンスはそう多くないと思います。

受注後の困難は当然予想できましたが、それ以上にわくわくしながら電子書籍制作に取り組み始めました。

その結果起きた事

幸いにも千数百冊の制作依頼をいただき、受注額は数千万円になりました。人件費や設備等のコストは、必要最低限に押さえながら取り組んだかいもあり、某ブログであったような「数億円の借金が…」みたいな話しにはならずに済みました。

年明けからの時間はあっという間に過ぎ、既に報道されている通り「カタチだけ」の制作期間完了である年度末(3月末)を向かえました。

そのあとも不備のある部分を必要に応じて修正することがしばらく続く事となった訳ですが、このとき私はこう考えていました。

この作業をきっちりやって、緊デジ後は出版社から直接発注をしてもらえるようになろうと。

東北の小さな会社が東京の大手出版社と仕事をする機会を得る事など、この緊デジがなければあり得なかったわけですから、これを活かさない手はないと。会社にもその計画を提案しました。

これに対する会社からの返事は「NO」でした。

会社の認識はこうでした。

  • 緊デジは単なる役所の年度末仕事である。またその延長作業があることは甚だ遺憾である。
  • そのような業務を圧迫する「迷惑千万な電子書籍制作」を、社として今後推進するつもりはない(延長作業は責任持ってやるが)。

緊デジ事業が後手後手に展開する事により、まるでそれ自体が「電子書籍自体の立て付けの悪さ」のごとく会社には伝わってしまったようでした。

私はその会社を辞めました。

もし当初の予定通り半年間の制作期間があったならば、私だけでなく、会社の経営者とも同じ「未来」を共有することが出来たのかもしれない、期間が半年あればそのチャンスは少なからずあったのでは、と思うのです。

私が当時いた会社もそうですが、緊デジに関わった人の多くがこうおっしゃいます。

「もう電子書籍はいいや」
電子書籍には今後関わりたくない」

このようにおっしゃる方も、もともとは電子書籍の未来を信じて、それにコミットしていた方が大半です。

そんな方々にこのような事を言わせてしまったこと、これは「緊デジ」の罪(といったら言い過ぎかもしれませんが)のような気がします。

一昨日の仙台での会、その質疑応答である方が発言された方がいましたが、この緊デジに最初から悪意をもって関わっていた人は恐らくひとりもいなかったはずです。皆がそれぞれの立場で「出版」や「電子書籍」の未来を真剣に考え、取り組んだにも関わらず、このような結果になってしまったのは、確かに「大失敗」は回避できたのかもしれませんが、自分としてはどうしてももったいなかった感が拭えないのです。